Thursday, August 24, 2006

花とLiveと浅草ロック座 2006.8.17

何度も足を運んできた大須商店街のすぐそばにライブハウスがある。この日はここで行われるライブを観に来た。久々の大須ではあったがこの日は所用で時間をとられ、商店街をぶらぶらする暇は無くいつものバールでギネスを二杯飲んだだけですぐ会場入りした。

筆者と同郷のガールズバンド「MARIA」の初の全国ツアー、名古屋公演の
会場が大須だったことも足を運ぶ気になった理由のひとつであったが、現在のメンバーの姿を生で見たくなったのだ。

今からおよそ三年前、MARIAのメンバーが組んでいた前のバンドRED WORKER'z、その名前もまだ決まっていなかった頃ののライブを見たことがあった。公表されている年齢から逆算すると当時まだ中学生だったメンバーもいたはずだが、その演奏は実に安定していた。特にドラムのTATTUと
バンドリーダーでベースのSACHIIN(MARIAではギターに転向)のプレイは今でも強烈に印象に残っている。ライブハウスでまともなバンドの演奏を聴いたのがその時初めてだったこともあるが、音が五体に響く様に酔いしれる感覚を最初に教えてくれたのは彼女たちである。

元ZONEの舞衣子を迎え、ギタリストの脱退やパートの再編を経て
どんなバンドになっているのか。


ライブを観終えて思うことは、メンバー全員の個性がはっきり記憶に刻まれたことと、これからも隠れファンとして(^-^)応援してゆきたいということか。やっぱり30過ぎのオッサンが我を忘れて乗りまくるには
少々恥ずかしい感じがどうしてもあった。次また行くときも後ろの方で大人しく聴いてます。

で、終了後メンバーとの握手会があるということだったので、折角だからと
花を持参してきた。

メンバー一人ひとりに手渡ししたかったのだが、握手会の様子を見ると握手はハイタッチでしかもかなり速いペースでメンバーが観客を送り出しているのが見えたので「こりゃ無理か」とあっさり諦め一纏めにリーダーに託すことにした。我ながら無造作すぎる、色気の無いやり方になってしまった。

それ以上にメンバーがやたら面食らったような顔をしていたのがしばらく気になった・・・何か悪いことをしたのでなければ良いが。




劇場と花、で思い出すことがある。東京在住の折一度だけいった
浅草ロック座でみた光景である。

当時通っていた稽古事の会が其処で開かれていた為、浅草の近辺へは
定期的に足を運んでいた。
あるときその名だけは知っていたロック座の前を偶然通りかかり、好奇心を
抑えきれず劇場の入り口をくぐった。記憶があまり定かでないが出演していた踊り子さんは日本人四名白人二名で、一日に数回繰り返されるらしい公演の夕方の部だった。

リンクのWikipediaの解説でも触れられているとおり、ショー全体の構成はかなりしっかりしたレビューの型と言おうか。オープニングで踊り子さん全員のダンス、そして順に個人演技が行われ、中盤で一度さらにエンディングでふたたび全員がステージに上がりフィナーレという流れ。
個人演技?も一定の型があるようであった。劇場内のステージは"T"の字型でその上にさらに360度回転する円形の台が設置されている。(団体演技?の際は円形の台は撤去される)
Tの字のIの部分を奥から手前に移動する円形の台の上で"演技"は行われる。各々の持ち時間の本編の部分が終わる頃には、踊り子さんはTの字の最も手前、客席のど真ん中にいることになる。

ここで本編と音楽が切り替わり、個人演技のフィナーレとなる。ここのタイミングでファンの人達はステージに歩み寄り踊り子さんに花束を手渡す。踊り子さんは笑顔で受け取りファンと握手。どの踊り子にも大きな花束が3~5つは贈られていたと思う。そしてゆっくり客席中央から移動してゆくステージの上で、受け取った花束を掲げ踊り子はステージの向こうに還ってゆく。


ある程度決まりきった流れなのかもしれないが、その一連の光景を
私は美しいと感じた。

その劇場は客席とステージが距離も近ければ高さもそれほど差はなく、しかも席すべて同じ高さ。
つまりステージを見つめる観客の視界に、他の客の一挙一動が入りやすい。

言い換えれば客の一挙一動がステージの一部に必然的になるのだ。

その空間の中で、「心得た」ファンの人達の立ち振る舞いは鍛錬を重ねた
踊り子の演技に華を添えるものに確実になっていたと思う。


気を利かせたつもりが失敗だったかな・・と何やら胸の痞えを覚えたライブの帰り道、あの年季の入った小さな劇場で見た光景が何故か思い出された。

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